初めて、藤田邸跡公園へ行ってきました。
藤田邸跡公園ご存知ですか?
藤田伝三郎は、明治初期より関西実業界の中心人物として活躍し、大阪経済の基礎を築いた人物で、造園趣味家でもあり、武者小路千家の茶道を修め、邸内に茶室や花畑を設けて自ら花を生けるという、当代を代表する文化人でもあったといわれている。その藤田翁の庭園の面影を生かすために、平成十二年より庭園遺溝を核として新たな公園文化を象徴しうる場の創造をめざした。
大阪の庭師、梅園梅叟(ばいそう)が作庭した庭園は、平坦な地形に起伏に富んだ地形を人工的に作り出し、築山、滝、流れ等で構成されていた。本邸跡は長年放置され植物に覆われていたが、豪快な石組みなどが遺されていた。これらを現在の造園技術によって保存または復元、修復した。
特に、高い滝石組からの流れや築山中央の流れとその両側の急峻な築山の組み合わせが庭園の見どころだ。周辺部分も藤田翁好みの「すっきりとしゃれた」新庭として新たに整備した。
歴史的資産を大切に受け継ぎながらも公園としての利用を考慮し、景観と利用の両面について配慮したものなのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿